002 : 頭髪検査バトル


 定期的に行われる朝の頭髪検査。何が悲しいかな、朝っぱらから風紀委員が校門に突っ立ち、登校して来る学生の内派手派手しい髪色の奴をしょっぴくのだ。
 憂鬱だ。俺にとっては憂鬱でしかないイベントだ。
 それは別に俺が派手派手しい髪色をしているからではない。俺は申し分なくきちんとした黒髪を引っ提げている。しょっぴかれる謂れはない。
 こんなにも憂鬱なのは、俺が違反者をしょっぴく側、風紀委員だからだ。
(憂鬱だ)
 検査に引っ掛かった奴をメモるバインダーとシャーペンを手に、俺は隠れるように校門端に立ちながらため息をつく。
 私立の学校って割には校則も緩いこの学校は、具体的な校則として染髪が禁止されている訳じゃない。けど著しく派手な色は学生に相応しくないってことで、そこら辺は風紀委員の独断と偏見でしょっぴくかしょっぴかないか決めるらしい。風紀委員どんだけ権限持ってんだよ。ていうか別に校則で禁止されてないなら頭髪検査なんてすんなよ。こんな検査、風紀委員が恨まれるだけじゃん。
 検査に引っ掛かった奴の名前リストは風紀委員長に提出され、そのまま顧問の教師に引き渡される。成績に影響するかもだし、あまりに何度もリストに名前が上がると呼び出しを喰らう。だから風紀委員は恨まれる。俺だって恨まれたくないし、出来るならこんな面倒なことは回避したい。けどリストが空欄だと仕事してないように思われる。
 板挟みだ。
(憂鬱だ)
 今日、それも朝だけだってのに、最早何度目になるか分からない深いため息をついた時だった。
「上原くん、おはよう。どうしたの?」
「……えっ?」
 急に声をかけられて体が震えた。
 あからさまに怯え切った顔をしていたのかもしれない。俺に声をかけて来た四月一日さんが、びっくりしたように瞳を丸くさせた。
「ご、ごめん。驚かせちゃった?」
「う、ううん、そんなこと。お、おはよ」
 クラスメイトの四月一日さんだ。
 言葉とは裏腹に心底死ぬ程びっくりした。だってクラスメイトだけど俺と四月一日さんはそんなに話したことないし、接点だってないし。
 男女関係なく、クラス学年関係なく人気者の四月一日さんと、クラスの端っこで目立たない根暗の俺。
(ていうか俺の名前知ってたんだ?)
 嬉しいと一瞬でも思ってしまった愚かさを覆い隠すように、話し掛けて来て欲しくない、とじわり狼狽える。だって、さっきから校門を通り抜けてく奴らの視線が痛い。
「……お、俺、風紀委員だから。頭髪検査してるだけ」
「あ、そっか、上原くん風紀委員だもんね。……あれ? でもリスト真っ白だけど?」
 早く教室に行って欲しいという意味で質問に答えたのに、そんな俺の願いも空しく、四月一日さんは隠す暇もなく俺の手元を覗き込んで首を傾げる。その拍子にさらりと音を立てて零れた髪の毛は艶を含んだ黒色で、検査に引っ掛かる要因一つもないんだからさっさと行って欲しい。だって、そうじゃなきゃ、俺が周りの奴に何て思われるか。
「こういうのって、無理矢理にでも誰かリストにあげなきゃだよね? 申し訳ないけど」
「う、うん」
 さっきからどもりっぱなしだ。元々大きな瞳を尚更大きくさせて首を傾げる四月一日さんの顔が見れない。眩し過ぎる。
 会話が止まってしまった。いたたまれない雰囲気。
 このまま何事もなかったかのように、じゃあね、って言って教室に行ってくれたらいいのに。
 俺の目の前に突っ立ち、何かを考え込んでいた四月一日さんが不意に顔を上げる。それに釣られて俺もまた顔を上げると、四月一日さんは俺じゃない誰かを見ていた。
「琉生くん!」
「ん? ……あ。丙ちゃん♡」
 目立つ金髪のクラスメイトがハートマーク飛ばして近寄って来た。当然俺にではなく四月一日さんに、だ。けれど彼女の目の前にいるのは俺なのであって、必然的に櫻屋敷と俺の距離も近くなる。
 後ずさる。走って逃げたい。何でこんな目立つ人達と俺が同じ領域にいんの。
「おはよー。なになにー、俺に何か用?」
 櫻屋敷の蕩けそうな笑顔。四月一日さんに向けられた物だと知りつつも、否が応でも入り込んで来るそれにときめきではなく吐き気を覚える。駄目だ、やっぱりここは、俺がいるべき世界じゃない。でも四月一日さんが櫻屋敷に声かけたってことは、俺への興味はなくしたってことだよな? このまま櫻屋敷と一緒に教室に行ってくれたらいいんだけど。……ちょっと寂しい気もする。何て理不尽なんだ俺は。
 でも次に四月一日さんから漏れた言葉は、俺にとっても、そして櫻屋敷にとっても意外な物で。
「はい、琉生くんアウトー! 金髪はさすがに派手なのでだめでーす。はい上原くん、リストに名前書いちゃおう」
「ええっ?」
「えっ!?」
 櫻屋敷の悲鳴に続いて、俺の口からも悲鳴が漏れる。俺のはのんびりとした櫻屋敷の悲鳴とは違って、もっと悲痛な色に染まっていたけど。
 笑顔で凄まじいことを言ってのけた四月一日さんは、そんな俺達の反応に構わず、バインダーを抱きしめる俺をちょいちょいとせっつく。そんなこと言われても、櫻屋敷の視線が気になって名前なんて書けない。
 あたふたする俺とにこにこ笑いの四月一日さんをきょとんとした瞳で見比べていた櫻屋敷が、不意に困った様子で笑った。
「あー成程、上原くんのため? んー困ったなあ、協力してあげたいのは山々なんだけどー……先生に目付けられると困っちゃうんだよね、俺も」
「でもここで見逃しても他の人に捕まっちゃうと思うけどなー」
「わ、四月一日さん、いいよ別に! 俺のためとか、ほんといいから!」
 焦る。四月一日さんが俺のために頑張ってくれてることじゃなくて、四月一日さんが俺のために頑張って櫻屋敷をリストに載せさせようとしてることにだ。
 四月一日さんが風紀委員で櫻屋敷をしょっぴこうとしてるならまだしも、これじゃ俺が四月一日さんを利用して櫻屋敷を陥れようとしてるみたいじゃないか。勘弁して欲しい。俺は四月一日さんと違って一般的な男子高校生なんだ。目立ちたくないんだよ。
 けれどそれを知らない四月一日さんは俺の隣でにこにこ笑って、俺はだらだら冷や汗垂らして、櫻屋敷はそんな俺達を代わる代わる見つめて。
「……そうだなあ。じゃあ丙ちゃん、今度の日曜俺とデートしてくれる? そしたら名前載せてもいいよ」
「えっ!?」
 驚愕の悲鳴を上げたのは四月一日さんではなく俺の方だった。
 冷や汗垂らしていた顔が青白く強張る。何なんだこいつ。頭髪検査に引っ掛かってやる代わりにデートしろってどこのプレイボーイだよ。ていうか何言ってんのこいつ? え? いやでも櫻屋敷がこう言い出した大元の理由って俺だよな? 俺のせいで、いや別に俺が唆した訳じゃないけど、結局は俺のせいだよな? 俺のせいで、四月一日さんが。
 ギコギコ嫌な音を立ててゆっくり四月一日さんを見る。
 果てしなく動揺する俺とは対照的に、四月一日さんは相変わらずのにこにこ笑顔を浮かべていた。
「あ、今度の日曜部活あるから無理だ〜ごめんね? じゃあそういう訳で琉生くんの名前書いちゃおう、上原くん」
「えっ? ……えっ!?」
「えー残念〜。……ま、仕方ない。丙ちゃんの顔に免じて許しちゃう。俺の名前書いていいよ、上原くん」
「えっ!?」
 固まる俺ににっこり柔らかく微笑んだ櫻屋敷。今度はひねくれた俺でも漏れなくときめいた。
 櫻屋敷に促されるまま、持っていたバインダーに櫻屋敷の名前を書いた。
「うん。じゃあ丙ちゃん、教室に行こっか」
 シャーペンの動きが止まったのを見届けると、櫻屋敷はもう一度にっこり微笑んでから、名前を書かれた代わりと言い出さんばかりの自然な調子で四月一日さんの手を取った。
 えー? と不満げな悲鳴を上げるのは四月一日さん。もうちょっと上原くんの側にいるよー、と当たり前のように凄まじいことを言うから、赤面してしまう。それを無理矢理引っ張って行く櫻屋敷に心の中で目一杯感謝した。
 けど本当に感謝するべき相手は、櫻屋敷じゃなくて四月一日さんだ。
「わ、四月一日、さん!」
「……ん?」
 櫻屋敷に手首を掴まれた状態で、四月一日さんがくるりとこちらを振り返った。きょとんとした丸い瞳を見てしまえば何と言っていいか分からない。やっぱり四月一日さんは俺とは違う人類だ。一緒にいたらただでさえ卑屈な俺はどんどん惨めになってしまう。
 それなのに、心の奥底ではこんな俺のことをもっと気にかけて欲しいと思ってしまう俺。俺は、さいていだ。
 口を噤む。顔をうつむかせる。自分から呼び掛けたくせに、今すぐここから消えてしまいたかった。
「上原くん」
 名前を呼ばれた。視線を持ち上げる。
「教室でね!」
 相変わらずのにこにこ笑いを浮かべ、手を振りつつ去って行った四月一日さんをぽかんと見送った。
 教室に行ったら四月一日さんに真っ先に「さっきはありがと」って言いに行こう。……言いに行けるかな。
 手の中のシャーペンをぎゅうと握り締めた。

・四月一日 丙 わたぬき ひのえ/♀:人見知りしない性格。人気者らしい。
・上原 うえはら/♂:丙のクラスメイト。根暗。卑屈。目立たない。
・櫻屋敷 琉生 さくらやしき るい/♂:丙のクラスメイト。金髪。性格はおっとり。


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